浄円寺は1597年(安土・桃山時代)、信蓮社仰譽鐵公上人を開山とする浄土宗を母体とした総本山知恩院の直末寺としての寺院です。
当山浄円寺は、山号を「清涼山」寺号を「浄円寺」と称し、開山より数えて現住職で20世となります。
ご本尊様は阿弥陀如来坐像をお祀りいたしております。このご本尊様は猛火に見舞われたという伝承があり、焼け跡の残るお姿です。
歴史を確認する中で、当山の開山当時は七条に所在していましたが、天明の大火(1780年)以降たびたび発生した大火により焼失したため、現在の場所へ移転したということで、このことは、当山の御本尊佛の阿弥陀如来様のお顔が焼けていることや、当山の復興のために尽力された当時の檀信徒類代の資料からも確認することができ、また、本堂の内装工事を行うにあたり、位牌棚の整理を行いました際に、古い位牌の記載からも確認することができました。
当山の主な行事は春秋の彼岸会法要と、11月の十夜法要の3法要を中心として、8月のお盆には全ての檀家への先祖供養と8月16日にはお精霊送りの法要を行っております。
戦前の17世上人の時に庫裏の改修工事が行われて以来、ほぼ90年以上経過した庫裏を補修・改築を重ねて現在に至っています。
戦時中に先々代住職が入山してからの略歴は以下のとおりですが、近年の大事業としては、平成6年に本堂の屋根および瓦の改修工事を檀信徒ならびに各種方面からの多大な寄付によって150年振りに行いました。
昭和28年 浄円寺第18世法譽澂道上人(水谷澂道)五重相伝厳修
昭和48年 浄土宗開宗800年記念法要(音楽法要)
昭和57年 浄円寺第19世鏡譽浩之上人(水谷浩之)晋山
〃 鏡譽浩之上人(水谷浩之)五重相伝厳修
昭和61年 書院増築
平成6年 本堂屋根および瓦の改修工事
平成7年 鏡譽浩之上人(水谷浩之)知恩院御忌大会唱導師
平成17年 鏡譽浩之上人(水谷浩之)知恩院御忌大会当日導師
令和5年 浄円寺第20世照譽俊之上人(水谷俊之)晋山
当山は、山門に設置しております石碑に「乾観世音 第十九番」と記してあるとおり、乾三十三所霊場の一つとされております。
ちなみに乾三十三所霊場の「乾」とは、「戍亥」(北西)を意味しており、京の都の北西にある霊場注)ということだそうです。
また当山には、長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士が潜伏していた三条木屋町の旅館を新選組が襲撃した「池田屋騒動(事件)」の舞台となった、旅館「池田屋」の主人・池田屋惣兵衛さんのお墓があります。
境内を見渡すとお檀家様からの寄贈による夏みかんの木があり、初夏には爽やかな香りとともに真白な花を咲かせ冬には沢山の夏みかんが実ります。
収穫は12月の初旬で、一部は近隣の松葉湯様にて師走の「夏みかん湯」として毎年お使いいただいております。
注):「京の霊場」(https://kyonoreijo.sakura.ne.jp/mmr/ry2/mmrry33knii.htm)参照
山門石碑の写真
池田屋石碑の写真
夏みかんの木の写真
浄円寺からのお知らせ
通常のお墓は家族単位です。納骨供養塔にはそのような条件はなく、故人を弔うためのものです。
管理は寺が行いますので、お墓の管理の難しい方や同一家族でない方や様々な理由で供養塔に入られる方も多くおられます。
清涼山 浄円寺 (せいりょうざん じょうえんじ)
【市バスをご利用の場合】
丸太町七本松バス停より
徒歩3分